開戦直前のバグダッド(福岡孝浩)
開戦直前のバグダッド2003.3.6
3月16日を境に、バグダッドは一変した。この日、国連査察団撤退開始が報じられると、まずいっせいにメディアが動いた。市内三カ所のホテルに集められていた外国メディアの多くが、攻撃間近と判断、撤退を始めた。ついで人間の盾の一部も、主要施設に強制的に配置されるのを嫌い、脱出した。
メディアを管轄する情報省(プレスセンター設置所)も空爆を恐れ、数カ所に分散、引っ越しを始めた。商店やホテルでは窓ガラスにテープを貼るなどの防災措置をとりだした。
翌17日、市内では一夜にして物価が高騰。商店では水、食料などを買い求める人々が殺到しはじめた。「値段は昨日の一、五倍~二倍。明日はもっと上がるだろう。ストックがないんだ」と商店主。表通りではガソリン、軽油を求めて、ガススタンドに車が長蛇の列をなしたため交通渋滞が続き、タクシー料金もガソリンの高騰を理由に通常の二倍~三倍にはね上がった。これまで一ドル2500D前後を推移していた為替も、一気に3000Dまで下落した。この時点で民兵の姿は目立ち始めてはいたが、外出禁止令や軍が大々的に市内に展開、といった動きは見られず、街はできるだけ平静を装っていた。ブッシュ大統領の「最期通告」は、こちらでは18日午前4時。48時間の亡命猶予が伝えられた後も街は眠ったままだった。新聞は最期通告にはいっさい触れていなかったが、市民たちはラジオやアラブ系テレビなどを通じて、このことを知っていた。それでも従来通り「我々は恐れない」を繰り返す人が多かったが、元陸軍将校の知人は人前にも関わらず「イラクは負ける。あなたがたももう帰った方がいい」と公然と言い放った。これまでこんな事はなかった。市民たちは表向き平静を装いながら、行動にはホンネが表れだしたと言える。
私たちも選択を迫られる事態になった。イラクビザの期限が切れ、延長が認められなかったため、ビザ切れで潜伏するか、出国するか、決断しなければならない。私たちが危惧したのは、米軍の攻撃よりも、イラク政府の外国人に対する対応だ。戦争直前が一番怖い。拘束されて人質にされるかもしれないし、スパイ容疑をかけられるかもしれない。市民の暴動に巻き込まれるかもしれない。熟慮した結果、いったん出国することに決めた。18日夕刻、私たちがバグダッドを後にする頃には、街の商店は在庫ゼロとなりシャッターを下ろし始めていた。
陸路でアンマンに向かう。途中何度となく砂嵐で徐行を余儀なくされたが、ヨルダンに向かう道路は意外と空いていた。すでにヨルダン国境ではイラク人出国がストップされていて、国外脱出を目指すイラク人の大部分は唯一残されたシリアに向かっているらしい。国道沿いのガススタンドには大量の車が並んでいる。ガソリンの供給が途絶え、タンクローリー待ちだという。私たちも二時間ほどロスした。国境のイミグレーションは、いつになく厳しく、高額の賄賂や物品を公然と要求してくる。もともとカネ次第ではあったが、もうやけくそ気味だ。それでも19日正午、ようやくアンマンにたどり着いた。そこでシリア国境でもイラク人出国がストップされたと聞いた。国境付近で多数のイラク人がさまよっているらしい。そして20日、米軍はイラク攻撃を開始した。(福岡孝浩)
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