イラク日記(遠藤盛章)
Date: 2004.4.9 21:16:16 Asia/Baghdad
いやあ、まいった。また取材中に捕まっちゃいました。
今日4月9日は、イラク戦争でバグダッドが陥落した日。一周年を記念して、何かが起こるだろうと思って、バグダッドのアザミヤという街で、カメラを構えていたら、来ました。今をときめく、イスラムシーア派、ムクタダ・サドル派のデモ隊がやってきた。このサドル派の軍事組織は、マハディ軍といい、ここ数日米軍とイラク各地で市街戦を起こしている部隊だ。デモを撮影していた私に気づき群衆が集まってきた。イスラム教徒ではない外国人は、みな敵だという。銃やナイフで武装した者たちが「殺してしまえ」と騒ぎ出す。
組織された政治集団が、こんなことをいいだすのは初めてだ。
「これはやばい」
私は現場を逃げ出し、200メートルも走ると、前に米軍の戦車が阻止線を張っている。米軍は米軍でカメラを向けただけで発砲してくる。イラクの過激派と米軍の間に挟まれて取材どころではなくなった。4月7日の、日本人誘拐事件は、イラクでも大きな影響を与えている。人の拉致とか誘拐は当たり前のイラクで、日本人が捕まったこと事態が驚きなのではない。「戦士旅団」と名乗る犯人たちが、自衛隊のイラク撤退を要求していることに敏感に反応している。日本は今までアメリカとは一線を画する友好国だった。70~80年代は日本の企業も大きくイラク経済の発展に寄与してくれた。しかし、いま、占領を続ける米軍の肩を持ち、軍隊まで派遣するのはなぜなんだ、というのが一般的なイラク人の思いだ。捕まった日本人はかわいそうだが、自衛隊は出ていってほしいということだ。実際、三人を誘拐した犯人グループ「戦士旅団」の名称はほとんどの人が「知らない」と答える。反米抵抗勢力で実績のある組織ならば、例え自ら犯行声明を出さなくても、自ずと情報が流れるものだが、今回はそれも聞こえてこない。三人が拉致された現場は、いろいろ言われているが、最も信ぴょう性が高いのは、同じ日に誘拐され、後に釈放された韓国人牧師の証言。それによると、バグダッド西方、ラマディの街の辺らしい。このあたり、アリババ=強盗団の出没する所で、道を行き交う外国人の車を襲い金品を強奪するので有名。「戦士旅団」というのは、この類いではないか。しかし外国放送局を通じて日本国政府をも強迫するのだから、単なる強盗団ではない。
反米抵抗勢力と肩を組んだ『知恵を持った強盗団』かもしれない。ともあれ、今米軍と激しい市街戦を続けているムクタダ・サドルのマハディ軍が犯人の可能性は限りなく少ない。しかし、私はこのサドル派のデモ隊にあやうく拉致されるところだったのだ。右も左も混乱したイラク。ジャーナリストにとっても、今のイラクの一寸先は闇。
Date: 2004.4.11 19:05:49 Asia/Baghdad
4月10日夜8時(日本時間11日午前1時)、バグダッドで180ドルで買った携帯電話がなった。
「日本人三人が解放されると決まった」。イラク人の私の仕事のパートナーからだった。それがイラクのレジスタンス勢力「サラヤ・ムジャヒディン(戦士旅団)」に誘拐拘束された日本人に関するグッドニュースの第一報だった。
「30分後にアルジャジーラからこの記事の発表が行われる」と電話は続いた。夜9時40分、確かにアルジャジーラはサラヤ・ムジャヒディンが「三人を24時間以内に解放する」とした声明を報じた。イラクの口コミ情報の流通はマスコミより早い。だからイラクの人々は耳にした情報を、より確かなものとして確認するためにテレビや新聞を見る、といった具合だ。
この口コミ情報の早さは何だろう。サダム時代に、マスコミの情報が統制されウソの情報ばかりが流された結果なのだ。人々は自衛のため「真実情報」のネットワークを開発した。さてこのイラク真実情報網を駆使しても、犯人であるサラヤ・ムジャヒディンの正体はわからない。しかし、この「わからない」というイラク情報筋の答えは、意外に正確なのかもしれない。やれ「アルカイダ系のテロ組織」だとか「単なる強盗集団」とか安易な断定をしていない。人質解放の声明文を読むと、当初の「自衛隊撤退要求」が、それを通じた日本政府への弾劾と、自らの「反米・反占領」の政治姿勢のプロパガンダに見えてく
る。「サラヤ・ムジャヒディン」は今回のプロジェクトのためのみの新しい組織名だろうが、その中身は、やはり反米レジスタンス武装勢力のひとつだろう。ともあれ彼らの行った日本人誘拐という戦術は、今後のイラク抵抗運動の中に大きな教訓を与えたのは間違いない。イラクにいる日本人はよほど注意しないといかん。私は、人を誘拐しそうなタイプの顔つきがどんなものなのか、少しわかるようになった。犯人が覆面をしていたら困るけど。
Date: 2004.4.12 20:12:51 Asia/Baghdad
ファルージャでは600人の市民とレジスタンスが殺され、米兵も70人が戦死した。そのファルージャから家を焼かれ家族を殺された人々がバグダッドに大量に避難してきている。一方で食料や医薬品の救援物資を載せた車が次々とファルージャに向かっている。途中の道を封鎖している米軍を避けて抜け道に入ったこうした車を、米軍が狙い撃ちする。これは戦争なのか、それともイラク人の虐殺なのか。取材に向かおうとすると、レジスタンスの検問に引っ掛かり拘束されそうになった。今、外国人は拘束して各国の軍隊撤退のための取引材料にしようというの だ。若い兵士たちの中には、ただ「外国人は敵」と、その場で殺害しかねない者たちもいる。バグダッドでも、毎晩レジスタンスと米軍の市街戦が続いている。昼間はバトルはおさまるが、街中に米軍と新イラク軍が展開して交通もマヒ状態だ。緊張した米兵にカメラを向ければ確実に銃撃される。これじゃ仕事にならない。今私は昔訪ねた孤児院を再訪した。戦前は国の経営で400人いた子供たちが、戦後の今は39人しかいない。「戦争のとき逃げ出し、そのまま帰ってこないのだ」と、現在の経営者、シーアのサドル派のアル・セイド氏が言う。
「昨日一人の女の子を別の施設に預けた。彼女が麻薬を止めず、妊娠してしまったから。相手は米兵だった」
「他にもここを逃げ出した女子5人が、米兵を相手に売春をしている」という。
この市街戦の中のバグダッドで、米兵は戦闘の合間にそんなこともしている。
「どこで?」「米軍の装甲車の中」
戦後自由を得て発刊された100紙以上のイラクの新聞にも、こんな記事は出ていない。米占領軍の検閲があるから、書きたくても書けないでいる。外国のメディアは、人が大勢犠牲になるイラクの戦闘状況や、外国人拘束者のことで目一杯。だがイラクの人々は、こうした事実を正確に知っている。市民の反米感情の高まりは、実はこうしたところから、わき上がってくるだろう。
【 ← page prev 】